1286年生まれ。北条義時の曾孫・赤橋久時の子にあたる赤橋流北条氏の出身。もともと評定衆・引付衆として幕政に参与した後、1311年に十二代執権・北条煕時の後任として十三代執権に就任した。在任中は後醍醐天皇による倒幕運動(元弘の変・1331年)が激化し、幕府は二度にわたって後醍醐を隠岐に配流した。しかし1333年、後醍醐が隠岐を脱出すると反幕府勢力が全国各地で蜂起した。足利高氏(尊氏)が幕府方から離反して六波羅探題を攻略し、新田義貞の大軍が鎌倉に迫った。基時は幕府防衛に奔走したが及ばず、1333年5月22日、執権の北条高時・長崎高資ら一族とともに東勝寺において自害した。享年47歳。この日の自害者は800名以上に上ったという。150年以上続いた鎌倉幕府の最後を共にした執権として歴史に名を刻む。その弟・赤橋登子は足利尊氏の正室であり、後の室町幕府との縁を持っていたことは歴史の皮肉でもある。赤橋登子は室町幕府の実質的な最初の正室として北条氏の血脈を繋いだ。