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PERSON
北条貞時
北条貞時
九代執権
1271-1311 · 享年 40歳
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生涯
1271年、八代執権・北条時宗の子として生まれた。父・時宗が1284年に34歳で急死すると、わずか13歳で九代執権に就任した。就任翌年の霜月騒動(1285年)では実権を握る有力御家人・安達泰盛を内管領の平頼綱と結んで一族ごと滅ぼし、得宗専制(北条氏嫡流による独裁)を一層強化した。1293年には今度は平頼綱を排除して自ら権力を完全に掌握した(平禅門の乱)。元寇後に所領を失い生活に困窮した御家人を救済するため、1297年に永仁の徳政令を発布して売却・質入れされた所領の無償返還を命じた。しかし徳政令は金融取引を麻痺させ経済的混乱をまねき、御家人の生活改善にはほとんど寄与せず、幕府の信頼を損なう結果となった。晩年は酒色にふけり政治から遠ざかり、内管領の長崎氏が幕政を壟断するようになった。1311年に41歳で病没した。その子・高時が後を継いだが、幕府はその後も衰退を続け、1333年に滅亡した。また貞時は禅宗への帰依も深く、1307年には円覚寺に正続院舎利殿(現存、国宝)を建立した。
人物像
権力掌握に積極的で、政敵の排除をためらわなかった。一方で御家人の苦境に目を向けた側面もある。晩年は政治から離れ、病床に伏す時間が長かった。
歴史的意義
永仁の徳政令は日本史上初の大規模な徳政令であり、後の室町時代の徳政令の先例となった。霜月騒動により御家人の力を削ぎ、北条氏専制を完成させた。
逸話・エピソード
永仁の徳政令——日本初の大規模徳政令の功罪
元寇後、所領を失い困窮した御家人を救済するため、北条貞時は1297年に永仁の徳政令を発布した。売却・質入れされた所領を無償で取り戻すことを命じたこの令は、日本史上初の大規模な徳政令として画期的であった。しかし貸し手側が御家人への融資を拒否するようになり、金融取引が麻痺して経済的混乱を招いた。貞時は翌年にほぼ撤回せざるを得ず、幕府の信頼を損なう結果となった。室町時代以降の徳政一揆の先例ともなった。
関連する歴史的事件
1285
霜月騒動
弘安8年(1285年)11月17日、御家人の代表的指導者であった安達泰盛が、得宗北条貞時の内管領・平頼綱によって滅ぼされた事件。「霜月」は旧暦11月の別称である。安達泰盛は北条時宗の岳父であり、元寇後の恩賞問題や「弘安徳政」と呼ばれる幕政改革を主導していた。しかし時宗の死(1284年)後、9歳で家督を継いだ貞時の側近として台頭した平頼綱と対立。頼綱は泰盛が将軍就任を企てているとの讒言を貞時に吹き込み、鎌倉の松谷にあった泰盛邸を急襲した。泰盛・宗景父子をはじめ一族郎党500余人が討死、泰盛派の御家人は全国で追討され、連座者は数千に及んだとされる。この事件により御家人勢力は大打撃を受け、以後は得宗と内管領による専制政治(得宗専制)が確立した。鎌倉幕府の権力構造を根本から変えた画期的な政変である。
─ 完 ─
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