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PERSON
北条時房
北条時房
初代連署
1175-1240 · 享年 65歳
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生涯
1175年、北条時政の子として生まれた。母が時政の後妻であったため義時とは異母弟にあたる。幼少期から武芸に励み、蹴鞠の名手としても知られ公家文化にも通じた。源頼朝に仕えて鎌倉幕府の草創期を支え、頼朝死後も義時・政子のもとで幕政を補佐した。1221年の承久の乱では東海道方面軍の大将を務め、北陸道方面の義時の子・泰時と連携しながら大軍を率いて上洛し、宇治川の防衛線を突破して京都を占領した。乱の後、初代六波羅探題北方に就任して在京御家人の統率と朝廷監視にあたった。1225年に甥の泰時が三代執権に就任すると、幕府の権力構造を強化するために新設された連署(執権の補佐役)の初代に就任した。連署制度の創設は集団指導体制の整備として高く評価される。泰時と協力して1232年の御成敗式目の制定にも関与し、武家法の発展に貢献した。連署の職は以後も存続し、鎌倉幕府の集団指導体制の礎として機能した。1240年、享年66歳で没した。
人物像
温厚で社交的な性格。蹴鞠など京都文化にも通じ、公家との交渉にも長けていた。兄・義時や甥・泰時を支える縁の下の力持ちとして幕府を支えた。
歴史的意義
初代連署として執権政治の制度的基盤を整えた。蹴鞠の名手としても文化史に名を残し、武家と公家の架け橋となった人物。
逸話・エピソード
初代連署——蹴鞠の名手が架けた公武の橋
北条時房は蹴鞠(けまり)の名手として知られ、公家文化にも精通していた。承久の乱後、初代六波羅探題北方として京都に駐留し、朝廷との折衝を担ったのは、この文化的素養があってこそであった。1225年に甥・泰時が三代執権に就任すると、時房は執権の補佐役である連署の初代に任じられた。連署制度の創設は集団指導体制の整備として画期的であり、以後鎌倉幕府の慣行として定着した。
─ 完 ─
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