character/[id]

PERSON
本多忠勝
本多忠勝
家康四天王・無傷の猛将
1548-1610 · 享年 62歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
1548年、三河国の本多家に生まれた。父・忠高(忠義)は忠勝が幼い頃に戦死しており、家康の父・松平広忠に代々仕えた武家の血筋を受け継いだ。13歳で初陣を飾り、以後生涯57回の合戦に参加しながら一度もかすり傷すら負わなかったと伝わる。天下三名槍の一つに数えられる「蜻蛉切(とんぼきり)」を愛用し、槍働きの猛将として徳川家中随一の武名を誇った。姉川の戦い・三方ヶ原・長篠・小牧長久手など家康の全ての主要な戦いに参加し、常に最前線で奮闘した。その武勇は敵方の武田信玄も「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と称えたとされる。関ヶ原の戦いでは先鋒として参加し、東軍勝利に貢献した。1600年、大坂城にて豊臣秀頼に拝謁したが、秀頼の立派な体格に感涙したという逸話も伝わる。1602年に伊勢桑名藩10万石の藩主となり、晩年は統治に専念した。1610年に63歳で没した。本多忠勝が守った桑名藩・大多喜藩の地には今も彼を祀る神社や像が建ち、「最強の武将」として地元の誇りとなっている。
人物像
忠義と武勇を体現した戦国武将の理想像。質素倹約を旨とし、華美を嫌った。晩年は「武士とは何か」を考え続け、小刀で木像を彫る際に初めて自分を傷つけ、死期を悟ったという逸話がある。
歴史的意義
徳川四天王の筆頭格として家康の天下統一を支えた。蜻蛉切と鹿角の兜は本多忠勝の象徴として今なお人気が高い。戦国無双・無傷の武将として多くの創作作品で描かれている。
逸話・エピソード
蜻蛉切と生涯57戦無傷の猛将
本多忠勝が愛用した「蜻蛉切」は天下三名槍の一つ。蜻蛉が穂先に触れた瞬間に切れたという伝説に由来する。忠勝は13歳の初陣から生涯57回の合戦に参加したが全て無傷と伝わる。武田信玄は「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と称えたとされる。晩年、木彫りで初めて指を傷つけた際に「死期が来た」と悟ったという逸話も残る。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U