永禄6年(1563年)、明智光秀の三女として越前国で生まれた。幼名は玉(たま)。天正6年(1578年)、織田信長の仲介により16歳で細川忠興に嫁ぎ、二男二女をもうけた。天正10年(1582年)の本能寺の変で父・光秀が「主君殺し」の逆臣とされると、夫の配慮により丹後国味土野(現・京都府京丹後市)に幽閉された。赦免後も世間からの厳しい視線に苦しむ中、天正15年(1587年)に大坂の教会で侍女・清原マリアの説教に触れてキリスト教に心を傾け、同年洗礼を受けて「ガラシャ(Gratia/恵み)」の霊名を授かった。家に厳しく囚われる身でありながら、書物を通じて信仰を深めた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いを前に石田三成が諸大名の妻子を人質に取ろうとすると、これを拒否。忠興から不在時の襲来時には命を絶つよう言い含められていたこともあり、キリスト教が自死を禁ずるため家臣・小笠原少斎に胸を突かせて果てた。享年38歳。大坂屋敷に火を放ち、徳川方への忠義と信仰を貫いた最期は、後世に「散りぬべき時知りてこそ」の辞世とともに語り継がれる。