本能寺の変で父を失った失意の中、侍女・清原マリアを通してキリスト教に触れ、1587年に洗礼を受け「ガラシャ(恵み)」の霊名を得た。秀吉のバテレン追放令下でも信仰を捨てず、家に幽閉されながらも書物と祈りを通じて信仰を深めた。
慶長5年(1600年)7月、石田三成が大坂の諸大名屋敷に人質徴発を強行しようとした際、ガラシャはこれを断固拒絶した。屋敷を包囲された中、キリスト教は自死を禁じるため、自ら手を下さず、家老・小笠原少斎に長刀で胸を突かせて絶命した。享年38歳。大坂屋敷は火を放たれ、諸大名の妻子を人質にする三成の計画を頓挫させた。
夫・細川忠興は嫉妬深く、ガラシャに見惚れた庭師の首を斬ってその前に放り投げた逸話が伝わる。ガラシャは顔色一つ変えず食事を続けたため、忠興が「鬼のような女だ」と呟くと、「鬼の妻には蛇がふさわしい」と返したという。二人の緊張に満ちた愛情は戦国夫婦の象徴として語り継がれる。