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PERSON
細川三斎
細川三斎
三斎流の祖・ガラシャの夫
1563-1646 · 享年 83歳
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生涯
1563年、細川藤孝(幽斎)の嫡男として生まれ、本名は忠興。17歳の頃に明智光秀の娘・玉(後のガラシャ)を正室に迎えた。1582年の本能寺の変では岳父・光秀の誘いを断り信長方に留まるという決断を下し、その後の豊臣政権下でも武将として各地の戦役に参加した。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後は豊前小倉藩39万石の藩主となった。千利休に深く師事し、利休七哲の一人に数えられる。正室ガラシャはキリシタンとなり関ヶ原直前に壮絶な最期を遂げた。利休の死後も茶の精神を守り続け、独自の「三斎流」を開いた。1646年に83歳の長寿を全うするまで茶の湯への情熱を持ち続け、戦国から江戸初期の茶の湯文化を後世に伝えた。
人物像
武人としての剛毅さと茶人としての繊細さを併せ持つ。嫉妬深い一面もあったが、茶の道への求道心は生涯衰えなかった。利休への敬愛は深く忠実だった。
歴史的意義
三斎流茶道は武家茶の一つとして現在も継承されている。戦国の動乱を生き抜きながら利休のわび茶精神を守り伝えた功績は大きい。
逸話・エピソード
妻ガラシャの最期
関ヶ原の戦い直前、石田三成が人質として妻・細川ガラシャを捕えようとした。キリシタンであるガラシャは自害できないため、家臣に命じて自らを殺させた。「ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
─ 完 ─
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