1198年、二代将軍・源頼家の長男として生まれた。母は有力御家人・比企能員の娘・若狭局であり、一幡は将軍家の嫡男として比企一族の期待を一身に背負っていた。1203年、頼家が重病に倒れると、幕府は将軍の職権を一幡と弟・実朝に分割して統治させる方針を示した。これは実質的に比企氏の権勢拡大を意味するものであり、北条時政にとって看過できない脅威であった。時政は将軍御所に比企能員を呼び出して謀殺し、直ちに比企氏の邸宅を大軍で包囲・攻撃した(比企の乱)。一幡はわずか6歳で、外祖父の邸宅炎上の中に焼き殺されたと伝わる。この事件により頼家は将軍を廃されて修禅寺に幽閉され(翌年殺害)、一幡の叔父・実朝が三代将軍に立てられた。比企の乱は幼子の命を奪い、鎌倉幕府の権力構造を決定づけた血なまぐさい政変として歴史に刻まれている。