character/[id]

PERSON
徳川家斉
徳川家斉
半世紀の大御所
1773-1841 · 享年 68歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
1773年(安永2年)、一橋治済の長男として生まれた。1787年に15歳で第11代将軍に就任し、1837年に将軍職を家慶に譲るまで在職50年。鎌倉・室町を含む歴代将軍の中で最長の在位記録を持つ。側室は40人以上、子女は55人にのぼり、「オットセイ将軍」の異名をとった。子女を各大名家に嫁がせることで幕府の影響力を広げた。治世前半は松平定信の寛政の改革で幕政が引き締められたが、定信失脚後は放漫財政に転じた。文化・文芸が花開いた「化政文化」の時代である一方、幕府財政は破綻寸前に追い込まれた。1841年に死去、享年69歳。
人物像
享楽的で精力絶倫、しかし政治的な嗅覚も備えていた。大名との姻戚関係を巧みに構築し、将軍権威の維持に長けていた。
歴史的意義
在位50年は泰平の世の象徴であると同時に、幕府衰退の始まりでもあった。55人の子女は各地の大名家に送り込まれ、幕末まで幕府の影響力を支えた。化政文化を生んだ功績と財政破綻の責任が並び立つ。
逸話・エピソード
55人の子供——史上最多の将軍子女
家斉の子女は男子26人・女子27人の計53人とも、55人とも、57人とも伝えられる。側室は正式に記録されたものだけで約40人に上り、大奥の女中は900人を超えたという。家斉はこの膨大な子女を政治的に活用し、各地の有力大名家に養子や嫁として送り込んだ。尾張徳川家、紀州徳川家をはじめ、前田家、島津家、浅野家、黒田家など、幕末の主要大名の多くが家斉の血を引くことになった。この婚姻政策により幕府の影響力は全国に及んだが、同時に莫大な持参金や婚礼費用が幕府財政を圧迫した。精力の強さから「オットセイ将軍」と陰で呼ばれた。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U