1773年(安永2年)、一橋治済の長男として生まれた。1787年に15歳で第11代将軍に就任し、1837年に将軍職を家慶に譲るまで在職50年。鎌倉・室町を含む歴代将軍の中で最長の在位記録を持つ。側室は40人以上、子女は55人にのぼり、「オットセイ将軍」の異名をとった。子女を各大名家に嫁がせることで幕府の影響力を広げた。治世前半は松平定信の寛政の改革で幕政が引き締められたが、定信失脚後は放漫財政に転じた。文化・文芸が花開いた「化政文化」の時代である一方、幕府財政は破綻寸前に追い込まれた。1841年に死去、享年69歳。