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PERSON
徳川家宣
徳川家宣
正徳の治の立役者
1662-1712 · 享年 50歳
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生涯
1662年(寛文2年)、甲府藩主・徳川綱重の長男として生まれた。1709年、5代将軍・綱吉の死後に48歳で第6代将軍に就任。就任直後、綱吉が制定した生類憐れみの令を廃止し、投獄されていた8000人以上の罪人を放免した。儒学者・新井白石を側近に登用し、「正徳の治」と称される文治政治を推進。朝鮮通信使の待遇簡素化や貨幣改鋳など財政改革にも着手した。しかし在職わずか3年で1712年に病没。享年51歳。短い治世ながら綱吉時代の悪政を一掃した名君と評される。
人物像
温厚で学問を好み、側近の意見に耳を傾ける寛容さを持つ。綱吉の極端な政策を見て育ったため、現実主義的な政治感覚を備えていた。
歴史的意義
在職3年ながら生類憐れみの令の廃止と新井白石の登用で「正徳の治」を実現し、綱吉時代の混乱を収拾した。歴代将軍の中では知名度は低いが、隠れた名君として再評価されている。
逸話・エピソード
8000人の大赦——将軍就任初日の英断
1709年、家宣が第6代将軍に就任すると、最初に手を付けたのが先代・綱吉の「生類憐れみの令」の廃止であった。この法令により犬や猫を傷つけただけで投獄・流罪・死罪に処された者は膨大な数に上り、江戸の町は恐怖に包まれていた。家宣は就任後ただちにこの法令を撤廃し、8,000人以上の罪人を一挙に放免した。江戸の町民は歓喜し、家宣の英断を称えたと伝わる。新井白石は後に「天下の人心が一日にして変わった」と記している。わずか3年の治世であったが、この一事だけでも家宣の名は歴史に残る価値があると評される。
─ 完 ─
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