1824年(文政7年)、第12代将軍・徳川家慶の四男として生まれた。幼少時から病弱で、脳性麻痺とも推測される障害を持っていた。1853年に第13代将軍に就任。ペリー来航後の激動の時代にあって、家定には政治を主導する能力は乏しく、実務は老中・阿部正弘、のちに井伊直弼が担った。1856年、薩摩藩主・島津斉彬の養女・篤姫(天璋院)を正室に迎えた。跡継ぎがいなかったため将軍継嗣問題が勃発し、一橋慶喜を推す一橋派と紀州慶福(のちの家茂)を推す南紀派が対立した。家定は慶福を後継に指名した翌日の1858年7月に急死。享年35歳。