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PERSON
徳川家定
徳川家定
病弱の将軍
1824-1858 · 享年 34歳
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生涯
1824年(文政7年)、第12代将軍・徳川家慶の四男として生まれた。幼少時から病弱で、脳性麻痺とも推測される障害を持っていた。1853年に第13代将軍に就任。ペリー来航後の激動の時代にあって、家定には政治を主導する能力は乏しく、実務は老中・阿部正弘、のちに井伊直弼が担った。1856年、薩摩藩主・島津斉彬の養女・篤姫(天璋院)を正室に迎えた。跡継ぎがいなかったため将軍継嗣問題が勃発し、一橋慶喜を推す一橋派と紀州慶福(のちの家茂)を推す南紀派が対立した。家定は慶福を後継に指名した翌日の1858年7月に急死。享年35歳。
人物像
病弱で政治的手腕には欠けたが、篤姫との仲は良好であったと伝わる。素朴で内向的な性格で、カステラ作りが趣味であったとされる。
歴史的意義
将軍継嗣問題の中心にいた悲運の将軍。その死後、井伊直弼による安政の大獄が起き、幕末の政治は一気に激化した。篤姫は家定亡き後も大奥を守り抜き、徳川家の存続に貢献した。
逸話・エピソード
将軍継嗣問題——幕末最大の政争
家定に子がいなかったことから、次期将軍をめぐって幕末最大の政争が勃発した。一橋派は水戸の徳川斉昭・薩摩の島津斉彬・越前の松平春嶽らが英明な一橋慶喜(のちの15代将軍)を推した。一方、南紀派は大老・井伊直弼らが血筋の近い紀州の徳川慶福(のちの14代将軍・家茂)を推した。家定自身は1858年6月25日に慶福を後継に指名。しかしその翌日に急死したため、この決定の裏に井伊直弼の圧力があったとする説もある。直弼はその後、反対派を弾圧する「安政の大獄」を断行し、幕末の政治は一気に流動化した。
─ 完 ─
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