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PERSON
徳川家継
徳川家継
史上最年少の将軍
1709-1716 · 享年 7歳
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生涯
1709年(宝永6年)、第6代将軍・徳川家宣の四男として江戸城で生まれた。兄たちが早世していたため、1713年に数え5歳(満3歳)で第7代将軍に就任。歴代征夷大将軍の中で最年少の将軍であった。幼少のため実権は側用人・間部詮房と儒学者・新井白石が握り、「側近政治」が行われた。1716年(正徳6年)、霊元天皇の皇女・八十宮との婚約が成立したが、同年4月30日に風邪の悪化による急性肺炎で死去。享年8歳(満6歳)。家継の死により家宣の血筋は途絶え、将軍職は紀州藩主・徳川吉宗に移った。
人物像
幼くして将軍となったため性格の記録は乏しいが、聡明で礼儀正しい子供であったと伝わる。朝鮮通信使が謁見した際にも堂々と振る舞ったという。
歴史的意義
在位わずか3年、8歳で夭折した悲運の将軍。しかしその死が紀州の徳川吉宗を将軍に押し上げ、享保の改革という幕府中興の契機となった。歴史の転換点を象徴する存在。
逸話・エピソード
幼き将軍の婚約——実現しなかった皇室との縁
1716年1月、わずか7歳の家継に霊元上皇の皇女・八十宮吉子内親王(当時3歳)との婚約が整えられた。将軍と皇女の婚姻は前例がなく、朝幕関係の強化を図る新井白石の構想であった。しかし婚約からわずか3ヶ月後の4月30日、家継は風邪をこじらせて急死してしまう。八十宮も後に出家した。もしこの婚姻が実現していれば、朝廷と幕府の関係は大きく変わっていた可能性がある。家継の死は、歴史のif を考えさせる出来事として語られている。
─ 完 ─
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