徳川家綱
徳川家綱
四代将軍・文治政治の始まり
1641-1680 · 享年 39歳
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へぇ、と思う三話
徳川家綱の文治主義——武断政治から文治政治への転換
徳川家綱は4代将軍として幼少で就任し、大老・酒井忠清らの補佐を受けて政治を行った。父・家光の武断政治から文治政治への転換を図り、末期養子の禁の緩和・殉死の禁止など武家の慣習を法で規制した。1651年の由井正雪の乱(慶安の変)への対処でも粛然と対応し、徳川幕府の制度的安定化に貢献した。「泰平の世」への道を開いた穏健な将軍として評価される。
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生い立ちから最期まで
寛永18年(1641年)、三代将軍・徳川家光の長男として生まれ、1651年に10歳で四代将軍に就任した。幼少での就任のため、酒井忠清ら大老・老中が実権を握った。就任直後の慶安の変(由比正雪の乱)では浪人問題の深刻さが露呈し、牢人救済策として大名の末期養子禁止の緩和などの政策が採られた。家綱の時代は武断政治から文治政治への転換期とされ、大名の改易が減少し、幕藩体制が安定した。また諸大名への参勤交代の制度整備や武家諸法度の改訂も行われた。1680年に嗣子なく没した。享年40歳。温厚な性格で「右衛門の将軍」とも称された。その治世は江戸幕府の安定期の礎を築いた重要な時代である。
人物像
温厚で穏やかな性格を持ち、「右衛門の将軍」と親しまれた。幼少で将軍となったため政治的実権は補佐役に委ねたが、その統治期間を通じて社会の安定化に貢献した。積極的な政策推進よりも社会の安定維持を優先した保守的な姿勢が特徴的で、武断政治から文治政治への転換を後押しした。
歴史的意義
武断政治から文治政治への転換という江戸幕府の政策転換を推し進めた時代の将軍。慶安の変後の浪人政策の見直しや参勤交代制度の整備など、幕藩体制安定化に向けた改革が進んだ。その穏健な治世は、次代・綱吉の時代への橋渡しとなった。
家系図
家系図
家康
初代将軍
信康
長男(自刃)
秀忠
二代将軍
家光
三代将軍
家綱
四代
綱吉
五代
秀康
越前松平家祖
─ 完 ─
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