1793年(寛政5年)、第11代将軍・徳川家斉の次男として生まれた。1837年に45歳で第12代将軍に就任。歴代将軍で最高齢の就任であった。父・家斉が大御所として実権を握り続けたため、家慶が実際に政治を主導したのは1841年の家斉死後からであった。家斉の放漫財政を立て直すため、老中・水野忠邦を登用して「天保の改革」を推進。倹約令や風俗取締りを断行したが、上知令(大名領の幕府直轄化)で猛反発を受け、忠邦は失脚し改革は挫折した。その後、若き阿部正弘を老中に抜擢。1853年6月、ペリーの黒船が浦賀に来航したが、家慶は既に病床にあり、来航を知った6日後の6月22日に死去。享年61歳。