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PERSON
徳川家慶
徳川家慶
黒船前夜の将軍
1793-1853 · 享年 60歳
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生涯
1793年(寛政5年)、第11代将軍・徳川家斉の次男として生まれた。1837年に45歳で第12代将軍に就任。歴代将軍で最高齢の就任であった。父・家斉が大御所として実権を握り続けたため、家慶が実際に政治を主導したのは1841年の家斉死後からであった。家斉の放漫財政を立て直すため、老中・水野忠邦を登用して「天保の改革」を推進。倹約令や風俗取締りを断行したが、上知令(大名領の幕府直轄化)で猛反発を受け、忠邦は失脚し改革は挫折した。その後、若き阿部正弘を老中に抜擢。1853年6月、ペリーの黒船が浦賀に来航したが、家慶は既に病床にあり、来航を知った6日後の6月22日に死去。享年61歳。
人物像
温厚で慎重な性格。父・家斉の大御所政治の下で忍耐を強いられた経験から、辛抱強い一面を持つ。改革の意欲はあったが、実行力には限界があった。
歴史的意義
ペリー来航と同年に死去した「黒船前夜の将軍」。天保の改革は挫折したが、阿部正弘の登用は幕末の開国政策への道を開いた。時代の変わり目を象徴する存在。
逸話・エピソード
黒船来航を知った6日後の死——歴史の皮肉
1853年6月3日、マシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊4隻が浦賀沖に現れた。幕閣は大混乱に陥ったが、将軍・家慶はこの時すでに病床にあった。老中首座の阿部正弘が来航の報告を家慶に伝えたのは来航から3日後の6月6日であった。家慶は正弘に「(水戸の)斉昭と相談せよ」とだけ述べ、それ以上の指示は出さなかった。そして来航からわずか2週間余りの6月22日、家慶は江戸城で薨去した。日本の運命を変えた黒船の到来を知りながら、何もできぬまま世を去った最後の「泰平の将軍」であった。
─ 完 ─
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