伊奈忠治
伊奈忠治
関東郡代、治水の名奉行
1592-1653 · 享年 61歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
赤山城を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
伊奈忠治を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
赤山城
埼玉県
すべて →
みんなの声
推しへの想い・おすすめ作品・豆知識を語り合おう。
ログインすると投稿できます
生涯
文禄元年(1592年)、関東郡代・伊奈忠次の次男として生まれた。元和4年(1618年)、武蔵国赤山(現・埼玉県川口市)に7000石を拝領し、寛永6年(1629年)頃、荒野を切り拓いて赤山陣屋(赤山城)を築いて拠点とした。父の跡を継ぎ関東郡代となり、同年には見沼を堤防で締め切る見沼溜井・八丁堤の築造、荒川の瀬替え(熊谷市〜川島町間の流路変更)を行い、荒川を入間川筋に付け替えて洪水被害を軽減させた。寛永12年(1635年)には江戸川の開削にも着手し、利根川東遷・荒川西遷という関東治水史上最大級の事業を主導した。承応2年(1653年)に62歳で没するまで、赤山陣屋を拠点に関東郡代を約35年間務めた。以後も伊奈氏はここを拠点に160年以上、幕府直轄領を統治し続けた。
人物像
治水・利水に卓越した技術官僚で、父・忠次譲りの実務能力を発揮した。「関東流」と呼ばれる独自の治水工法を確立し、荒地の新田開発にも情熱を注いだ実務家肌の人物。
歴史的意義
利根川東遷・荒川西遷という江戸の水害対策と新田開発の基礎を築いた治水家として高く評価される。見沼代用水など、彼の事業を発端とする用水網は現在も埼玉県の農業を支えている。
さらに深く
家系図
1550-1610
伊奈忠次
初代関東郡代。関東の治水・検地の基礎を築いた。
本人
伊奈忠治
1592-1653
─ 完 ─
アプリで巡礼を楽しむ
アプリで見る