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PERSON
隠元
隠元
黄檗宗の開祖・明の渡来僧
1592-1673 · 享年 81歳
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生涯
万暦20年(1592年)明の福建省福州府福清県に生まれた。福建の黄檗山萬福寺の住持となり、高名な禅僧として知られた。明清交代の動乱期、長崎の華僑の招きに応じて承応3年(1654年)に来日した。当初は3年の滞在予定だったが、四代将軍徳川家綱の帰依を受け、寛文元年(1661年)に宇治に黄檗山萬福寺を開創した。中国式の伽藍配置・読経法・普茶料理を伝え、日本の禅宗に第三の宗派を確立した。また煎茶・インゲン豆・西瓜・蓮根・竹筍・木魚など多くの文物を日本にもたらした。寛文13年(1673年)82歳で没した。
人物像
明末の動乱を経てなお禅の法灯を守り続けた不動の禅僧。異国の地で中国文化を惜しみなく伝え、日本の禅に新風を吹き込んだ開放的な国際人でもあった。
歴史的意義
萬福寺は中国様式の伽藍が今も残る異色の禅寺として国の史跡に指定されている。黄檗宗は臨済・曹洞に次ぐ日本禅宗第三の宗派となった。煎茶道の祖としても知られ、インゲン豆の名は隠元に由来する。
逸話・エピソード
隠元と黄檗宗——明末清初の禅を日本に伝えた「煎茶と普茶料理」
隠元隆琦は明末(中国)から1654年に渡来した禅僧で、宇治に万福寺を開いて黄檗宗を創立した。日本の臨済宗・曹洞宗とは異なる中国明朝禅の流派を伝え、梵唄・法要の様式に中国式を保った。また「煎茶」(葉茶を煮出す方法)・普茶料理(豆腐料理中心の精進料理)・ インゲン豆(隠元の名に由来)など日本の食文化にも多大な影響を与えた。
─ 完 ─
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