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PERSON
犬養毅
犬養毅
憲政の神様・五・一五事件で斃れた宰相
1855-1932 · 享年 77歳
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生涯
備中国賀陽郡川辺村(現・岡山県岡山市)に生まれる。慶應義塾・東京専門学校(早稲田)で学んだ後、自由民権運動に加わり政治家の道を歩んだ。板垣退助とともに自由党、のちに立憲国民党などを率いた。「憲政の神様」と呼ばれ、議会政治の護持と藩閥・軍閥への抵抗を生涯貫いた。1929年に立憲政友会総裁となり、1931年に第29代内閣総理大臣に就任した。満州事変(1931年)が起きると、軍部の独走を批判し「話せばわかる」の精神で満州国承認に消極的だった。1932年5月15日、海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、「話せばわかる」に対して「問答無用」と言い放ちながら犬養を射殺した(五・一五事件)。享年77歳。この事件は政党政治の終焉を告げるものであり、その後の軍国主義への道を開いた歴史的転換点となった。「話せばわかる」という最後の言葉は、対話と民主主義の精神の象徴として今も語り継がれる。
人物像
妥協を知らない議会政治の信奉者。軍部の圧力にも屈せず「話せばわかる」という対話の精神を貫いた。76歳での組閣は当時の最高齢記録であり、晩年まで政治への情熱を失わなかった。
歴史的意義
五・一五事件での死は日本の政党政治の終焉を象徴する。「話せばわかる」という言葉は民主主義・対話の精神の象徴として日本人に広く記憶される。岡山県には犬養毅の生家記念館が残る。
逸話・エピソード
五・一五事件——犬養毅の最期と「話せばわかる」
犬養毅は満州事変後の1932年2月に第29代内閣総理大臣に就任した。軍部の台頭に抵抗し満州国承認に慎重な姿勢を示したため、1932年5月15日に海軍青年将校らによる五・一五事件で官邸に乱入した暴徒に射殺された。享年77歳。「話せばわかる」という言葉は伝説として残り、「問答無用、撃て」という将校側の言葉とともに、日本の軍国主義台頭の象徴として語られる。
─ 完 ─
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