備中国賀陽郡川辺村(現・岡山県岡山市)に生まれる。慶應義塾・東京専門学校(早稲田)で学んだ後、自由民権運動に加わり政治家の道を歩んだ。板垣退助とともに自由党、のちに立憲国民党などを率いた。「憲政の神様」と呼ばれ、議会政治の護持と藩閥・軍閥への抵抗を生涯貫いた。1929年に立憲政友会総裁となり、1931年に第29代内閣総理大臣に就任した。満州事変(1931年)が起きると、軍部の独走を批判し「話せばわかる」の精神で満州国承認に消極的だった。1932年5月15日、海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、「話せばわかる」に対して「問答無用」と言い放ちながら犬養を射殺した(五・一五事件)。享年77歳。この事件は政党政治の終焉を告げるものであり、その後の軍国主義への道を開いた歴史的転換点となった。「話せばわかる」という最後の言葉は、対話と民主主義の精神の象徴として今も語り継がれる。