明応2年(1493年)頃の生まれと伝わるが正確な生年は不詳。越後国岩船郡小泉庄平林(現・新潟県村上市平林)を本拠とする国人領主・色部氏の当主として平林城主を務め、阿賀北衆の有力な一員として上杉謙信に仕えた。永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦いでは、危機に陥った柿崎景家隊を救援するなど上杉軍の中で奮戦し、この功により謙信から安田長秀らとともに血染めの感状(合戦の場で急ぎ認められたとされる感状)を授けられたと伝わる。永禄12年(1569年)、主君の重臣であった本庄繁長が謙信に反旗を翻した「本庄繁長の乱」で、繁長の居城・本庄城(後の村上城)を包囲する上杉方の軍に加わっていたが、繁長方の夜襲を受けて討死したとされる(病没説もある)。平林城跡は現在、国の史跡に指定されている。