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PERSON
五郎八姫
五郎八姫
政宗の長女
1594-1661 · 享年 67歳
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生涯
伊達政宗の長女として1594年頃に生まれた。幼名は「五郎八姫(いろはひめ)」。1601年、徳川家康の六男・松平忠輝との婚約が成立し、1609年に正式に婚儀が執り行われた。伊達家と徳川家の政略的な同盟を強化するためのこの婚姻は、伊達家の徳川幕府内での地位を安定させる役割を担っていた。しかし忠輝は酒色と奇行で知られ、1616年に兄・徳川秀忠から「不行跡」を理由に家督を召し上げられ、伊勢に流罪となった。五郎八姫は子に恵まれないまま仙台へ戻り、出家して「天麟院(てんりんいん)」と号した。以後は信仰の世界に生き、仙台藩の歴代藩主の菩提を弔う寺院の整備に尽力したとされる。仙台市若林区に現在も残る「天麟院」は彼女が建立した菩提寺であり、その廟所として今も丁寧に守られている。政治の道具として翻弄された数奇な生涯を送りながらも、晩年は仏道に深く帰依して安らぎを見出した。仙台市若林区の天麟院は五郎八姫が建立した菩提寺として今も残り、政治に翻弄されながらも信仰に生きた姫の生涯を静かに伝えている。
人物像
政略の駒として幼い頃から徳川家との婚姻が定められていたが、夫の流罪という逆境にも動じず、出家して静かに生を全うした。政宗の娘としての矜持を持ちつつも、仏道に帰依して平穏を求めた女性。
歴史的意義
天麟院(仙台市若林区)は五郎八姫が建立した菩提寺として現存し、仙台の歴史的文化財として大切にされている。伊達と徳川の政略結婚の証人として、また波乱の生涯を仏に帰依して乗り越えた女性として語り継がれている。
逸話・エピソード
政略結婚と夫の改易——波乱の生涯を送った独眼竜の娘
五郎八姫は父・伊達政宗の政略により徳川家康の六男・忠輝に嫁いだ。忠輝は才気あふれる人物だったが粗暴な面もあり、家康死後の1616年に改易・流罪となった。五郎八姫は夫と離縁して仙台に戻り、剃髪して「天麟院」と名乗り生涯独身を通した。忠輝は92歳まで長命したが、五郎八姫との仲は生涯回復されなかった。江戸時代を通じて仙台で過ごした天麟院の菩提寺として天麟院(宮城県松島町)が残されており、今も多くの参拝者が訪れる。
─ 完 ─
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