「板垣死すとも自由は死せず」——日本の自由民権運動の象徴的言葉
板垣退助は1882年4月、岐阜での演説中に刺客に短刀で刺された(岐阜事件)。傷を負った板垣が「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだという言葉は、日本の自由民権運動の象徴的名言となった(史実かどうかは議論がある)。1881年に自由党を結成した板垣は、民選議院設立を求める建白書(1874年)の提出から始まる自由民権運動のリーダーとして活動した。大日本帝国憲法発布(1889年)・帝国議会開設(1890年)という果実を見届けながらも、その後は藩閥政治との対立を続けた。