character/[id]

PERSON
板倉勝静
板倉勝静
幕府老中首座・最後の幕閣指導者
1823-1889 · 享年 66歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
備中国松山藩(現・岡山県高梁市)の藩主。儒学者・山田方谷を藩の指南役として登用して藩政改革を成功させ、財政再建・軍備近代化を実現した名君として知られる。山田方谷の薫陶は河井継之助にも受け継がれた。1866年に老中に就任し、1868年には老中首座として慶応4年の戊辰戦争開戦時の幕府を指導した。鳥羽・伏見の戦いの敗北後、徳川慶喜の江戸帰還に伴い幕府の崩壊を目の当たりにした。その後は旧幕府勢力の一員として東北・会津での抵抗運動に関与したが、1869年に降伏した。明治政府から賞典禄を受け、山田方谷の尽力で許され、その後は穏やかに余生を過ごした。備中国松山での名君としての施政と、幕府最末期の政治指導者という二つの顔を持つ人物として歴史に名を残している。1889年7月1日に66歳で没した。
人物像
学識ある穏健な政治家。藩主としては山田方谷の知恵を借りて名政を行い、幕閣としては最後まで徳川家への忠義を貫こうとした。柔軟さよりも誠実さを重んじた人物。
歴史的意義
備中松山藩の名政と、山田方谷という傑出した人材を見出した功績は高く評価されている。幕府老中として最後まで幕府を支えた誠実な姿勢は、幕末武士道の模範として語られる。
逸話・エピソード
幕府最後の老中——「幕末の柱石」が支えた崩壊寸前の江戸幕府
板倉勝静は備中松山藩主として山田方谷を登用して藩政改革を成功させ、その実績から幕府老中に就任した。幕府末期に老中首座として最後まで幕府を支えた忠臣である。大政奉還後も戊辰戦争では旧幕府側として戦い続け、五稜郭にまで従軍した。降伏後は謹慎処分となったが後に許され、明治時代も長く生きた。山田方谷を発見・登用した点でも高く評価され、「人を見る目」と「幕府への忠義」の両方を兼ね備えた幕末の名君・名臣として後世の評価は高い。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U