永正10年(1513年)に生まれた。日向伊東氏第16代当主。永禄11年(1568年)、約5か月に及ぶ包囲戦の末に島津方から飫肥城を奪い、「伊東四十八城」と呼ばれる支城網の要とした。最盛期には日向国のほぼ全域を支配し、伊東氏の全盛期を築いた。しかし元亀3年(1572年)の木崎原の戦いで島津義弘の軍に大敗し、以後急速に勢力を失う。天正5年(1577年)、島津氏の圧迫を受けて日向を追われ、豊後の大友宗麟を頼って落ち延びた。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定後、子・祐兵が旧領飫肥を回復したが、義祐自身は天正13年(1585年)、和泉国堺で客死した。