character/[id]

PERSON
岩倉具視
岩倉具視
明治維新の公家指導者
1825-1883 · 享年 58歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
京都の下級公家・堀河康親の次男として生まれ、岩倉具慶の養子となった。尊王攘夷論が高まる中、和宮降嫁(1861年)を主導して公武合体派の中心人物となったが、これが尊攘派の怒りを買い1862年から1867年まで洛外追放となった。復帰後は討幕派に転じ、慶応3年(1867年)の王政復古の大号令では中心的役割を果たした。明治政府では右大臣として事実上の最高実力者となり、版籍奉還・廃藩置県など重要政策の推進を主導した。1871〜73年には岩倉使節団の全権大使として欧米12カ国を歴訪し、先進国の政治・経済・教育・軍事制度を徹底的に視察した。帰国後は征韓論を否決して内治優先路線を確立した。華族制度の創設や内閣制度の整備にも深く関与し、大日本帝国憲法制定の礎を築いた。晩年は喉頭がんを患い、1883年7月20日に58歳で没した。明治初期の政治を陰で支えた最重要人物の一人である。
人物像
柔軟かつ老獪な政治家。時勢を読む卓越した洞察力を持ち、公武合体から討幕へと立場を転換しながら常に権力の中心に留まった。実利主義的で理念より現実を重んじた。
歴史的意義
岩倉使節団の成果は明治日本の近代化政策に直接反映され、文明開化の方向性を決定づけた。明治憲法・内閣制度・華族制度など近代国家の制度設計に多大な貢献を残した。
逸話・エピソード
岩倉使節団の世界一周——明治日本近代化の設計図を持ち帰った大使節団
岩倉使節団(1871〜73年)は岩倉具視を全権大使とし、大久保利通・木戸孝允・伊藤博文らが随行した107名の大規模な外交使節団で、約2年かけてアメリカ・ヨーロッパ12カ国を視察した。欧米各国の法律・教育・産業・軍事制度を詳細に調査し、「特命全権大使米欧回覧実記」にまとめた。この視察成果が廃藩置県後の明治政府の近代化政策(学制・兵制・法制・産業振興)の基礎となった。岩倉使節団の派遣は日本近代化史上最大規模の学習ミッションとして今も高く評価されている。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U