家康からヨーステンに与えられた江戸城の和田倉門付近の屋敷地は、やがて「ヤヨス河岸」と呼ばれるようになった。これは「ヤン・ヨーステン」の日本語訛りである。明治以降、この地名は「八重洲」と漢字が当てられ、現在の東京駅八重洲口として知られている。400年以上前に日本に漂着したオランダ人の名が、日本の首都の中心に今も刻まれている。
ヨーステンは家康の朱印状を携え、安南(ベトナム)、シャム(タイ)、パタニなど東南アジア各地との貿易航海を行った。オランダ人としての航海技術と交易ネットワークの知識を活かし、日本の朱印船貿易の拡大に貢献した。彼の活動は、鎖国以前の日本がいかに活発な国際貿易を展開していたかを示す好例である。
1598年にオランダのロッテルダムを出発したリーフデ号は、南米マゼラン海峡を経由してアジアを目指す過酷な航海だった。出発時に5隻あった船団のうち、日本にたどり着いたのはリーフデ号ただ1隻。乗組員110人のうち生存者はわずか24人で、多くは立つこともできない状態だった。ヨーステンとアダムスは家康に引見され、ポルトガル・スペインのイエズス会勢力が彼らを海賊として処刑するよう進言したにもかかわらず、家康は二人の知識を重んじて保護した。