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PERSON
ヤン・ヨーステン
ヤン・ヨーステン
八重洲の名の由来となったオランダ人航海士
c.1556-1623 · 享年 67歳
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生涯
1556年頃、オランダ・デルフト近郊のローデンスタインに生まれた。1598年、リーフデ号に航海士として乗船し、ウィリアム・アダムス(三浦按針)らとともにアジアを目指した。1600年4月、豊後国(現・大分県)に漂着。徳川家康に謁見し、その航海技術と貿易知識を買われて外交顧問となった。家康から江戸城近くに屋敷を与えられ、その居住地が「八重洲」(ヤン・ヨーステンの名の転訛)と呼ばれるようになった。日本人女性と結婚し、家康の命で東南アジアとの朱印船貿易に従事した。1623年、バタヴィア(現ジャカルタ)からの帰国途中に船が沈没し溺死した。東京駅八重洲口の地名に、彼の名が今も残っている。
人物像
異国の地で家康の信頼を勝ち取った交渉力と適応力の持ち主。アダムスとともに日本の対外貿易の発展に貢献した実務家。
歴史的意義
東京駅八重洲口の地名「八重洲」は彼の名に由来する。日蘭交流の先駆者として、江戸初期の国際貿易に大きな足跡を残した。
逸話・エピソード
八重洲——東京駅に残るオランダ人の名
家康からヨーステンに与えられた江戸城の和田倉門付近の屋敷地は、やがて「ヤヨス河岸」と呼ばれるようになった。これは「ヤン・ヨーステン」の日本語訛りである。明治以降、この地名は「八重洲」と漢字が当てられ、現在の東京駅八重洲口として知られている。400年以上前に日本に漂着したオランダ人の名が、日本の首都の中心に今も刻まれている。
東南アジア貿易への航海
ヨーステンは家康の朱印状を携え、安南(ベトナム)、シャム(タイ)、パタニなど東南アジア各地との貿易航海を行った。オランダ人としての航海技術と交易ネットワークの知識を活かし、日本の朱印船貿易の拡大に貢献した。彼の活動は、鎖国以前の日本がいかに活発な国際貿易を展開していたかを示す好例である。
リーフデ号での漂着——アダムスと共に日本へ
1598年にオランダのロッテルダムを出発したリーフデ号は、南米マゼラン海峡を経由してアジアを目指す過酷な航海だった。出発時に5隻あった船団のうち、日本にたどり着いたのはリーフデ号ただ1隻。乗組員110人のうち生存者はわずか24人で、多くは立つこともできない状態だった。ヨーステンとアダムスは家康に引見され、ポルトガル・スペインのイエズス会勢力が彼らを海賊として処刑するよう進言したにもかかわらず、家康は二人の知識を重んじて保護した。
名言
「海を渡る者に国境はない。商いこそが世界を結ぶ道である」
「未知の海に船を出すことを恐れるな。冒険なくして繁栄なし」
ゆかりの地 — 1
按針通り(日本橋按針町跡)
東京都
ヤン・ヨーステン(耶楊子)は按針(アダムス)と同じオランダ船リーフデ号で慶長5年(1600年)に豊後に漂着したオランダ人航海士。徳川家康に重用され、按針と同様に江戸に屋敷を与えられた。ヨーステンの屋敷があった一帯は「八代洲」と呼ばれ、これが現在の「八重洲」の地名の由来となった。按針通りと八重洲は徒歩圏内にあり、二人の外国人顧問が家康の江戸に刻んだ足跡を今に伝えている。
この人物のクイズ
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