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PERSON
ジョン万次郎
ジョン万次郎
漁師から翻訳者に
1827-1898 · 享年 71歳
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生涯
土佐国(高知県)幡多郡中ノ浜村の貧しい漁師の子として生まれる。1841年(天保12年)、14歳の時に漁に出て嵐に遭い、五名の仲間とともに無人島・鳥島に漂着した。143日後、アメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」に救助され、船長ホイットフィールドに才能を見出されてマサチューセッツ州フェアヘイブンに渡った。英語・数学・航海術・測量術を習得し、捕鯨の航海にも参加して世界を経験した。1851年に帰国し、幕府の御用人として日米和親条約(1854年)の通訳交渉に関わった。後に土佐藩に召し抱えられ、坂本龍馬らに大きな影響を与えた。咸臨丸の太平洋横断(1860年)にも参加し、開成学校(東京大学の前身)で英語や航海術を教えた。英語教科書「英米対話捷径」を編んで日本の英語教育の草分けとなった。「ジョン万次郎」の愛称で知られ、海を渡って明治の夜明けを準備した稀代の人物である。土佐清水市の中浜には「ジョン万次郎資料館」が建ち、漂流から開国の橋渡しへと至った数奇な半生を今に伝えている。
人物像
好奇心旺盛で学習能力が極めて高い。漁師の子でありながら異国で高等教育を修め、二つの文化の架け橋となった。冒険心と適応力を兼ね備えた稀有な人物。
歴史的意義
日米交流の先駆者。鎖国日本にアメリカ文化・技術を紹介した功績は大きい。フェアヘイブンには現在も顕彰碑があり、日米友好の象徴として両国で敬愛されている。
逸話・エピソード
ジョン万次郎の漂流と日米架け橋——幕末の国際人
ジョン万次郎は1841年に漁師として遭難し、米国捕鯨船に救助されてアメリカで英語・測量・航海術を学んだ。1851年に帰国して幕府に仕え、日米和親条約締結(1854年)の際には通訳として重要な役割を果たした。咸臨丸の太平洋横断(1860年)にも参加し、日本に西洋の近代技術と言語を伝えた。土佐の漁師の子から幕府の外交顧問へという劇的な人生は日本近代化の象徴的物語。
ゆかりの地 — 1
雑司ヶ谷霊園
東京都
土佐国中浜村の漁師から鎖国期の日本人として初めてアメリカ本土に渡り、帰国後は幕府・明治政府の通訳・教師として近代日本の英学・航海術の草創を担ったジョン万次郎(中浜万次郎、1827-1898)も、明治31年(1898年)の没後に雑司ヶ谷霊園に葬られた。幕末・明治の国際交流史を象徴する人物の墓として、歴史研究者の訪問が絶えない。
─ 完 ─
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