香川信景(之景)
香川信景(之景)
讃岐西部を治めた香川氏当主
1527-1600 · 享年 73歳
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本台山城を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
香川信景(之景)を訪ねる
1 ヶ所
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生涯
大永7年(1527年)、桓武平氏良茂流を汲む讃岐香川氏当主・香川元景の子として生まれた。讃岐国多度・三野・豊田郡(後に那珂郡を加え四郡)を領し、平時の居館である本台山城(多度津城)と、有事に立て籠もる詰城・天霧城を拠点とした。当初は讃岐守護・細川氏に仕えたが、細川氏の権威が揺らぐと勢力を拡大した三好氏と対抗。天正4年(1576年)、織田信長に誼を通じて偏諱を受け「之景」から「信景」に改名し、毛利氏の支援も得ながら独立を保った。しかし天正6年(1578年)頃、四国統一を進める長宗我部元親の侵攻を受けて服属を決断。元親の次男・親和を娘婿・養子として迎え、家督を譲る形で和睦した。天正13年(1585年)、豊臣秀吉による四国征伐で長宗我部氏が屈すると、香川家も改易の憂き目に遭い、200年余り続いた讃岐香川氏は滅亡。信景自身は土佐へ逃れ、慶長5年(1600年)8月に没した。晩年の消息については記録が乏しい。
人物像
細川・三好・織田・毛利・長宗我部と目まぐるしく変わる四国情勢の中で、養子縁組による和睦という柔軟な外交手腕で200年余り続いた家名の存続を図った現実主義者。最終的に秀吉の四国征伐という抗いがたい大きな時代のうねりの前に家は滅びた。
歴史的意義
本台山城跡は現在の多度津町・桃陵公園一帯にあたり、桜の名所として整備されている。香川氏が長宗我部元親の子を養子に迎えた縁組は、四国戦国史における長宗我部氏の勢力拡大戦略を示す象徴的な事例として語られる。
さらに深く
家系図
家系の記録は未登録です。
─ 完 ─
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