生年不詳(1170年頃)、運慶と同じ慶派の仏師・康慶の弟子として修業し、運慶とは兄弟弟子の間柄にある。若くして独自の様式を確立し、重源が進める東大寺復興事業の中で中心的な仏師の一人として活躍した。1203年完成の東大寺南大門金剛力士像では阿形像(口を開いた方)を担当したとされる(吽形は運慶担当)。浄土教に深く帰依し「安阿弥陀仏(あんあみだぶつ)」と号した。その号を冠して「安阿弥様(あんあみよう)」と呼ばれる様式を確立した。運慶の力強い写実とは対照的に、端正で気品があり理知的な優美さを追求した作風で知られる。東大寺僧形八幡神像・醍醐寺弥勒菩薩像・浄土寺阿弥陀三尊像など多くの名品を残した。阿弥陀如来像を特に多く手がけ、庶民の浄土信仰に応える仏像作りに尽力した。全作品の銘文を丁寧に残した仏師としても知られ、その記録は現代の研究に貴重である。1227年頃に没。