1162年生まれ、梶原景時の長男。父と同様に源頼朝に仕え、武勇に優れた武将として知られた。1184年1月の宇治川の先陣争いでは、頼朝から賜った名馬「磨墨(するすみ)」に乗り、佐々木高綱と渡河一番乗りを競った。しかし高綱の「鞦が緩んでいる」という偽りの言葉に気を取られた隙に先を越され、惜しくも一歩遅れをとった。同年の一ノ谷の戦いでは、箙(矢筒)に梅の枝を挿して戦場に臨んだ「箙の梅」の逸話で知られ、武勇と風雅を兼ね備えた武将として称えられた。父・景時は頼家政権下で御家人の反発を受けて失脚し、1200年に一族と共に鎌倉を追放された。景季も父に従い駿河で迎撃に遭い、同年に討ち死にした。享年38歳頃。「箙の梅」と宇治川の逸話は「平家物語」に詳しく描かれ、能や歌舞伎の題材にもなっている。