信綱が創始した新陰流の根幹には「活人剣」の思想がある。それまでの剣術が「殺人刀(せつにんとう)」——いかに効率よく敵を倒すかを追求していたのに対し、信綱は「剣の究極の目的は人を殺すことではなく、人を活かすことにある」と説いた。無駄な殺生を避け、剣の威で争いを治め、平和をもたらすことこそ真の剣術だという革命的な理念であった。この思想は後に柳生宗矩の『兵法家伝書』に体系化され、徳川幕府の「治世の剣」の理念的支柱となった。
信綱以前の剣術稽古は木刀(木の太刀)で行われ、打ち所が悪ければ骨折や死亡事故が頻発していた。信綱はこの問題を解決するため、竹を割って革袋で包んだ「袋竹刀(ふくろしない)」を考案した。これにより弟子たちは実戦に近い形で安全に技を磨くことができるようになり、剣術の稽古方法に革命をもたらした。この袋竹刀が現代剣道の竹刀の直接的な原型であり、信綱なくして今日の剣道は存在しなかったと言っても過言ではない。
信綱が諸国遍歴中のこと、ある村で盗賊が子供を人質に取って立てこもっている場面に出くわした。信綱は僧侶から衣を借りて坊主に変装し、食事を差し入れると見せかけて小屋に近づいた。油断した盗賊が食事に手を伸ばした瞬間、信綱は素早く子供を奪い取り、盗賊を取り押さえた。剣を抜くことなく、知恵と勇気で命を救ったこの逸話は「活人剣」の理念を最も端的に示すエピソードとして語り継がれている。