1155年頃、下鴨神社(賀茂御祖神社)の神官の家に生まれた歌人・随筆家。父・長継は下鴨神社の禰宜であったが、長明の幼少期に没した。長じて和歌の研鑽を積み、俊恵の歌林苑に参加して一流の歌人として認められ、新古今和歌集にも入集した。下鴨神社の河合社(摂社)の禰宜職の継承を願ったが、実現せず挫折した。この挫折が長明に世俗への幻滅をもたらし、1204年(50歳頃)に出家した。京都郊外の日野山(現・京都市伏見区日野)に縦横約3メートルの方丈(一丈四方)の小庵を構えた。1212年、この庵で随筆『方丈記』を著した。養和の飢饉(1181〜82年)・元暦の大地震(1185年)・安元の大火(1177年)・治承の辻風(1180年)・福原遷都(1180年)という五大災厄を自らの体験を交えて克明に記録し、すべては無常であるという仏教的な洞察を文学的に表現した。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の冒頭文は日本文学の白眉として現代まで語り継がれる。1216年頃に没。享年61歳頃。