1584年、飛騨高山藩主・金森可重の嫡男として生まれ、本名は重近。父との不和が深まり藩主継承権を失って廃嫡され、京都に隠棲して茶の湯に没頭した。千道安・古田織部に茶を学んだことを基盤に、公家文化の優美さと繊細さを取り込んだ独自の茶風を展開した。その洗練された美しい茶風から「姫宗和」と愛称された。京都の九条家・近衛家などの公家や文化人と深く交流し、後水尾上皇(天皇)にも茶を献じた。また野々村仁清を見出してその陶芸指導にも携わり、京焼の発展に貢献したことも特筆される。1657年に74歳で没した。茶道においては流麗な美意識を持ち込んだ革新的な存在として評価されている。