天文20年(1551年)、伊予国新居郡(現・愛媛県新居浜市)に金子元成の嫡男として生まれた。金子氏は桓武平氏・武蔵七党村山党の流れを汲み、約300年にわたり同地に勢力を保った国人領主。元宅は19歳で石川道清の娘を娶り、四男一女をもうけた。天正13年(1585年)、豊臣秀吉による四国征伐が始まると、周辺の諸城が次々と毛利・小早川方に降伏する中、元宅は「昨日は長宗我部に従い、今日は小早川に降る」ことを潔しとせず抗戦を選んだ。小早川隆景率いる3万の大軍に対し、金子軍はわずか600ほど。元宅は氷見の高峠城に入って迎え撃ったが、次第に追い詰められ、4月17日(同年5月16日)、自ら城に火を放って100人ほどの手勢とともに野々市ヶ原へ討って出て奮戦し、壮絶な最期を遂げた。享年35。その気迫に満ちた最期は敵将・隆景をも感嘆させ、手厚く弔われたと伝わる。