金子元宅
金子元宅
四国征伐に抗した伊予の勇将
1551-1585 · 享年 34歳
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ゆかりの地 2か所
金子元宅を訪ねる
2 ヶ所
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生涯
天文20年(1551年)、伊予国新居郡(現・愛媛県新居浜市)に金子元成の嫡男として生まれた。金子氏は桓武平氏・武蔵七党村山党の流れを汲み、約300年にわたり同地に勢力を保った国人領主。元宅は19歳で石川道清の娘を娶り、四男一女をもうけた。天正13年(1585年)、豊臣秀吉による四国征伐が始まると、周辺の諸城が次々と毛利・小早川方に降伏する中、元宅は「昨日は長宗我部に従い、今日は小早川に降る」ことを潔しとせず抗戦を選んだ。小早川隆景率いる3万の大軍に対し、金子軍はわずか600ほど。元宅は氷見の高峠城に入って迎え撃ったが、次第に追い詰められ、4月17日(同年5月16日)、自ら城に火を放って100人ほどの手勢とともに野々市ヶ原へ討って出て奮戦し、壮絶な最期を遂げた。享年35。その気迫に満ちた最期は敵将・隆景をも感嘆させ、手厚く弔われたと伝わる。
人物像
義理を重んじ、日和見を潔しとしない一本気な気質。大軍相手にも降伏を選ばず、自ら城に火を放って玉砕する道を選んだその生き様は、伊予国人衆の意地を体現するものとして地元で語り継がれている。
歴史的意義
金子城跡は新居浜市指定史跡として整備され、元宅の壮絶な最期を伝える顕彰碑が建つ。伊予における豊臣秀吉四国征伐の激しい抵抗の象徴として、地域史に名を残している。
─ 完 ─
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