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PERSON
嘉納治五郎
嘉納治五郎
講道館柔道創始者・日本体育の父
1860-1938 · 享年 78歳
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生涯
1860年、摂津国御影村(現・神戸市東灘区)の廻船・酒造業を営む家に生まれた。東京大学文学部で政治学・理財学を学ぶ傍ら、天神真楊流・起倒流の柔術を修行。1882年、22歳で柔術の技から合理的体系を抽出し、下谷の永昌寺で「講道館」を創始。「精力善用」「自他共栄」を説き、従来の柔術を「柔道」として教育・人格形成の手段に昇華させた。1893年から東京高等師範学校(現・筑波大学)校長を20年以上務め、体育・スポーツを学校教育に組み込んだ。1909年、アジア人初の国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。1912年のストックホルム大会から日本選手団を率い、1940年東京オリンピック招致にも尽力した。1938年、カイロでのIOC総会から帰途の氷川丸船上で77歳で病死。
人物像
小柄ながら合気と頭脳で大男をも投げる実践家。「敗れて悔いを残さず、勝って驕らず」を信条とし、弟子には礼儀・研究・克己を厳しく説いた。教育者としては英語に堪能な国際感覚と、江戸士族の気骨を兼ね備える。生涯にわたり「身体を鍛えることは精神を鍛えることと同じ」と主張し続けた。
歴史的意義
講道館柔道は世界180カ国・数千万人が修行する国際武道となり、1964年東京オリンピックからオリンピック正式種目として採用された。東京高等師範学校での教育は戦前の体育教員・スポーツ指導者の大半を育て、日本体育協会(現JSPO)初代会長としても日本スポーツ界の礎を築いた。「精力善用」「自他共栄」の理念は、スポーツを超えた日本的教育哲学として今も国内外に影響を与え続けている。
逸話・エピソード
1882年——永昌寺の12畳から始まった講道館
22歳の嘉納は、下谷北稲荷町の永昌寺に居を構え、本堂脇の12畳間を道場として「講道館」を開いた。門弟は当初わずか9名。柔術の諸流派から合理的な技を選び「投げ技」「固め技」「当て身技」「乱取り」「形」を体系化。従来「殺人の術」であった柔術を「人を活かす道」へと転換させた。「道」の名を冠したことで、単なる武術を超えた人格陶冶の体系となった。
アジア初のIOC委員——1940年東京五輪招致の夢
1909年、嘉納はクーベルタン男爵の推薦によりアジア初のIOC委員に選出された。1912年ストックホルム大会から日本選手団を率い、以後国際スポーツ界で活躍。晩年は1940年東京オリンピック招致に奔走し、1936年ベルリンIOC総会で日本招致を勝ち取った。しかし1938年、カイロIOC総会からの帰途、氷川丸船上で病死。その5ヶ月後、日中戦争激化により日本は東京五輪を返上した。嘉納の夢は24年遅れて1964年東京五輪で実現することになる。
─ 完 ─
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