美濃国の武士・斎藤利三の娘として生まれた。父・利三は明智光秀の重臣であったため、本能寺の変後に処刑され、春日局は幼少期に複雑な境遇に置かれた。1604年に徳川家の乳母選考に応募し、三代将軍・徳川家光の乳母として採用された。家光に対して秀忠・江(お江与)夫妻が弟・忠長を偏愛し家光廃嫡を企図するなか、春日局は家光を支え続けた。1629年には朝廷との交渉のため独断で上洛し後水尾天皇に謁見、勅許を得て従三位に叙された。この行為は夫・稲葉正成との離縁を招いたが、朝廷権威を利用して幕府内での地位を確固たるものにした。大奥の制度整備にも大きく貢献し、以後の大奥の礎を築いた。1643年に65歳で没し、家光は深く悲しんだと伝えられる。