1605年、大和国小泉藩主・片桐貞隆の子として生まれた。本名は貞昌、後に藩主となり石見守(石州)の官名を持つことから「石州」と呼ばれた。桑山宗仙に茶を学び、さらに独自に研鑽を積んだ。4代将軍徳川家綱に見出されて茶道師範となり、幕府の公式茶道の地位を得た。千利休のわび茶の精神を守りつつも、武家社会の格式や礼法に適合するよう整備し直した「石州流」を創始した。その簡潔にして品格ある茶風は武家社会に広く受け入れられ、江戸時代を通じて最も多くの大名に学ばれた茶道流派となった。1673年に69歳で没した。石州の業績は、茶道を武家の公式礼法として体系化した点において歴史的意義が大きい。