1557年、出羽国の生まれ。本名は片倉景綱。政宗の母・義姫に仕えた後、幼い政宗の傅役(教育係)として仕えた。政宗が家督を継いだ1584年以降、片腕として奥州制覇の諸戦に参加し、軍略・外交の両面で政宗を支えた。1589年の摺上原の戦いでは後詰を務め、会津制圧に貢献した。豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)では参陣を渋る政宗を強く説得し、出陣を促すことで伊達家の改易を回避した。秀吉はその景綱の能力を高く評価し、直臣として取り立てようとしたが、景綱は主君・政宗への忠誠から断った。関ヶ原の戦い(1600年)では政宗に従い東軍として上杉を牽制。戦後、白石城1万3千石を領し、伊達家の重臣として仙台藩の基盤づくりに貢献した。1615年の大坂夏の陣では嫡男・重長が「鬼の小十郎」と称えられるほどの奮戦を見せた。同年(1615年)に58歳で没した。「片倉小十郎」の名は以後代々受け継がれた。片倉小十郎の名は代々伊達家に仕える重臣として受け継がれ、白石城(宮城県白石市)には今も彼の功績を伝える展示が続いている。