江戸本所の貧しい旗本の家に生まれ、蘭学・兵学を独学で修めた苦労人である。1860年、幕府の派遣で咸臨丸(かんりんまる)の艦長として太平洋を横断し、日本人のみで太平洋を渡った歴史上初の航海を成し遂げた。帰国後は神戸海軍操練所を設立し、坂本龍馬・陸奥宗光・内藤正明ら身分を超えた人材を積極的に育てた。幕府の要職を務めながらも倒幕側の薩長志士とも交流を続けた。幕末の戊辰戦争では旧幕府代表として江戸城明け渡し交渉の全権を担い、西郷隆盛と直接会談して1868年4月11日の江戸城無血開城を実現した。100万市民が暮らす江戸を戦火から救ったこの決断は、歴史的英断として後世まで高く評価されている。明治政府でも海軍卿・枢密顧問官として登用され、旧幕臣の保護にも力を尽くした。77歳まで活躍し、1899年に没した。勝海舟が成し遂げた江戸無血開城は、現代でも「最も賢い撤退」と評され、政治的決断の模範として世界の歴史教育でも引用されることがある。