三度の敗走と不死鳥の復活——「逃げの小五郎」から明治の重鎮へ
桂小五郎(木戸孝允)は幕末に「ヴォルデモートのように消える」と言われるほど、危機に際して姿をくらます能力で知られ「逃げの小五郎」と揶揄された。池田屋事件(1864年)では新撰組の奇襲を間一髪で逃れ、第一次・第二次長州征伐でも幕府に追われた。しかし1866年の薩長同盟(坂本龍馬の仲介)では薩摩藩との連携を実現させ、倒幕の最重要同盟を構築した。明治維新後は五箇条の御誓文の起草に関わり、木戸孝允として明治政府の参議となった。大久保利通・西郷隆盛とともに「維新の三傑」と呼ばれる。