長門国(現・山口県)萩出身の長州藩士。山縣有朋の腹心として軍・政界で頭角を現した。日清戦争・日露戦争を経て、第11・13・15代内閣総理大臣を歴任し、西園寺公望と交互に政権を担う「桂園時代」を形成した。総理在任期間は計2886日に及び、当時の歴代最長記録であった(現在でも第2位)。日英同盟(1902年)の締結に尽力し、日露戦争(1904-1905年)では戦時宰相として戦勝に導いた。ポーツマス条約締結後の桂・ハリマン覚書や桂・タフト協定など、日本の国際的地位向上に貢献した外交交渉を行った。1912年末、第三次桂内閣成立に際して「憲政擁護運動(大正政変)」と呼ばれる激しい反対運動が起き、桂は政党結成(立憲同志会)を試みたが、病気のため1913年に在職中に死去した。享年65歳。山縣有朋が育てた軍閥・藩閥政治の申し子として、大正デモクラシーの波の中で時代の転換点に立った政治家であった。