生没年は諸説あるが、1800年前後に浮世絵師・葛飾北斎の次女として生まれたとされる。幼い頃から父の傍らで絵を学び、その才能は北斎自身が「自分より上手い」と認めたほどだったという。「応為」という名は師・北斎の遊び心による命名とも伝わり、「おーい」と呼ばれていたという説もある。代表作「吉原格子先之図」(ボストン美術館蔵)は、夜の吉原遊郭を舞台に、行燈の温かな光と外の暗闇が生み出す光と影のコントラストを繊細に描ききった傑作だ。西洋のキアロスクーロ(明暗法)にも引けを取らないその光の表現は、浮世絵の世界においては異例の達成だった。晩年まで父・北斎の創作を助け、北斎が「富嶽百景」「富嶽三十六景」を制作した時期も応為は傍らにいた。北斎の死後(1849年)も絵筆を持ち続けたが、その後の消息は謎に包まれており「謎の女絵師」として今も多くの謎を残す。近年の再評価は目覚ましく、女性浮世絵師として葛飾応為の名は世界にその価値を認められつつある。