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PERSON
河鍋暁斎
河鍋暁斎
幕末〜明治の「画鬼」・コンドルの師
1831-1889 · 享年 58歳
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生涯
下総国(現・茨城県)古河に生まれ、7歳で葛飾北斎に弟子入りした天才少年だった。北斎が「こいつは化け物だ」と驚くほどの飲み込みの速さで絵を学び、後に歌川国芳にも師事した。酒を愛し、泥酔してから筆を執る「酔画」スタイルで知られた暁斎は、生涯を通じて幕府・政府を問わず権力をこき下ろす戯画を描き続けた。新政府への批判的な絵を理由に明治初年には投獄され、釈放後も「画鬼」を自称してペンを折らなかった。妖怪・幽霊・骸骨を躍動的に描いた作品群は現代の漫画やアニメの直接の源流であり、海外の芸術家たちに熱狂的な支持を受けた。英国人建築家ジョサイア・コンドル(鹿鳴館・旧岩崎邸の設計者)は暁斎に師事して日本画を学び、暁斎の没後に英語伝記を書いて師の業績を世界に伝えた。暁斎の作品は1985年、サザビーズのオークションで当時の日本美術として世界最高額で落札され、改めてその天才が証明された。飄逸な筆致と爆発的な創作エネルギーは「江戸最後の怪物絵師」と呼ぶにふさわしい。
人物像
型破りで権威嫌い。酒と絵が人生のすべてで、政治的圧力にも屈せず好きなものを描き続けた。ユーモアと残酷さが同居する表現力と、東洋・西洋を横断する美的センスを持った、江戸時代最後にして最大の天才絵師の一人。
歴史的意義
妖怪・幽霊・骸骨画の系譜は現代日本のポップカルチャー(漫画・アニメ・ゲーム)に直結する。コンドルへの指導を通じ西洋にも影響を与えた。幕末〜明治の激動期に権力に媚びず描き続けた骨太な反骨精神は、表現者の模範として今も語り継がれる。
逸話・エピソード
幕末の反骨絵師——権力を風刺し続けた狂斎の辛辣な筆
河鍋暁斎は幼少期に歌川国芳に師事し、後に狩野派にも学んだ稀代の絵師。「暁斎鬼才」と称された。戊辰戦争中に描いた「反新政府の風刺画」が問題となり一時投獄された経験を持つ。権力への反骨精神を持ちながら明治時代も旺盛に制作を続け、1887年に来日した英国人建築家コンドルに絵を指南したことで西洋でも知られるようになった。幽霊・妖怪から時事風刺まで幅広く描き、その自由奔放な画風は現代の漫画・アニメにも影響を与えている。大阪万博(1970年)では暁斎の絵を原案とした岡本太郎の「太陽の塔」が建てられた。
名言
「酒を飲まねば絵は描けぬ。酔うてこそ真の線が出る」
「笑わせることは、泣かせることより難しい。だから鬼も骸骨も笑って描く」
この人物のクイズ
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