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PERSON
上総広常
上総広常
関東最大の実力者
?-1184 · 享年 54歳
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生涯
上総国の大豪族で、関東随一ともいわれる2万騎を率いた最大の実力者。1180年、源頼朝が挙兵すると参陣したが到着が遅れ、頼朝から烈しく叱責された。広常は怒りを抑えながらも従い、以後の関東平定戦・富士川の戦いなどで幕府成立に大きく貢献した。しかし独立心が強く、臣従ではなく対等の立場で頼朝に接する広常の存在は、権力の集中を図る頼朝にとって看過できない脅威となった。1184年1月、頼朝の命を帯びた梶原景時が双六の最中に広常を突然斬殺した。謀反の嫌疑を名目とした粛清であったが、死後に広常の鎧の内側から願文が発見された。その内容は頼朝の武運長久と源氏の勝利を祈るものであり、広常の真の忠義が明らかになった。頼朝はこれを知り深く後悔したと『吾妻鏡』に伝えられる。この悲劇は頼朝の冷酷な権力者としての一面を如実に示す事件として語り継がれている。
人物像
豪放磊落で自尊心が強い武将。関東最大の兵力を持つ自負があり、頼朝にも臣従ではなく対等の態度で接した。しかし内心は忠義心の厚い武士であった。
歴史的意義
頼朝に粛清された悲劇の御家人として知られる。死後に見つかった願文の逸話は、頼朝の冷徹さと広常の忠義を対比させ、多くの文学作品で描かれている。
逸話・エピソード
甲冑の願文——頼朝への真の忠義が死後に明らかに
上総広常は頼朝に対して独立心が強く、対等の態度で接したため謀反の疑いをかけられた。1184年1月、梶原景時が双六の最中に広常を突然斬殺した。しかし広常の死後、その鎧の内側から願文が発見された。その内容は「頼朝の武運長久と源氏の勝利を祈る」というものであり、広常の真の忠義心が明らかになった。頼朝はこれを知ると深く後悔したと『吾妻鏡』に記されている。この悲劇は頼朝の権力集中のための冷酷な粛清と、誤解された忠臣の最期として歴史に刻まれている。
─ 完 ─
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