持統天皇9年(695年)、吉備国(現・岡山県)の豪族の家に生まれた。717年、22歳の時に第9次遣唐使の留学生として阿倍仲麻呂・僧玄昉らとともに入唐し、経書・史書・法律・軍事・天文暦学など幅広い学問を17年にわたり修めた。735年に帰国すると、儒学・軍学に精通した稀有な人材として橘諸兄政権のもとで重用され、大学助・東宮学士として皇太子(後の孝謙天皇)に経書を進講した。しかし政敵・藤原仲麻呂との対立により、751年に大宰大弐に左遷される。754年には遣唐副使として再び入唐し、鑑真の来日にも尽力したとされる。帰国後の天平勝宝8年(756年)、大宰大弐として、新羅との緊張の高まりを受けて筑前国怡土郡(現・福岡県糸島市)に中国式山城・怡土城の築城を開始した。真備が大宰府を離れた後は佐伯今毛人が築城を引き継ぎ、神護景雲2年(768年)に完成した。764年の藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇方の作戦立案に参与して勝利に貢献し、乱後は異例の出世を遂げて766年に右大臣にまで昇進した。学者出身でありながら公卿の最高位に上り詰めた稀有な人物として知られる。宝亀6年(775年)、81歳で没した。