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PERSON
桂小五郎/木戸孝允
桂小五郎/木戸孝允
維新の三傑のひとり
1833-1877 · 享年 44歳
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生涯
長州藩士・和田昌景の長男として萩に生まれ、藩校明倫館で学んだのち江戸で斎藤弥九郎の練兵館に入門し、剣術の達人として名を馳せた。吉田松陰に影響を受け尊王攘夷運動に身を投じ、禁門の変(1864年)では敗走して長州藩の政治指導者として生き延びた。その後、西郷隆盛・坂本龍馬らと協力して薩長同盟(1866年)を締結し、倒幕の大局を決定づけた。明治維新後は新政府の重鎮となり、版籍奉還・廃藩置県を主導して中央集権国家の基礎を固めた。岩倉使節団に参加して欧米の制度・文明を視察し、立憲政体の必要性を訴えた。征韓論に反対して下野した板垣退助らとは袂を分かち、漸進的な政治改革路線を取った。晩年は西南戦争の勃発に心を痛め、1877年5月26日に44歳で病没した。西郷隆盛・大久保利通とともに「維新の三傑」と称され、日本の近代国家建設に不可欠な役割を果たした政治家・思想家として後世に高く評価されている。
人物像
冷静沈着で理論的な政治家。感情より理性を優先し、長期的な国家ビジョンを持って行動した。剣客としての胆力と外交家としての柔軟さを兼ね備えた。
歴史的意義
薩長同盟の締結と廃藩置県の断行は近代日本の礎。立憲思想の普及にも尽力し、大日本帝国憲法制定への道を開いた。
逸話・エピソード
木戸孝允の変装逃亡——禁門の変後に消えた志士の長い潜伏生活
木戸孝允(桂小五郎)は1864年の禁門の変で長州軍が敗退した後、新選組や幕府側の探索を逃れて約2年間潜伏生活を送った。この間、彼は祇園の芸妓・幾松(後の妻・松子)の助けを借りて身を隠し続けた。幾松は幕府側の刺客から木戸をかばいながら情報収集も行ったとされ、その貢献は多大なものだった。潜伏を経て復帰した木戸は薩長同盟・大政奉還・明治維新の実現に尽力し、「維新の三傑」の一人となった。
名言
辞世
「西郷、いい加減にせんか」
ゆかりの地 — 1
松陰神社
山口県
木戸孝允(桂小五郎)は吉田松陰の松下村塾に学んだ萩出身の志士。松陰の「誠の精神」を受け継ぎ、尊王攘夷運動から明治維新の中心人物へと成長した。維新後は版籍奉還・廃藩置県など新政府の基礎確立に尽力し、「維新の三傑」の一人として名を残した。師の墓前で誓った志を生涯貫いた。
この人物のクイズ
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