吉川広家
吉川広家
岩国領主・毛利両川の一角
1561-1625 · 享年 64歳
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岩国城を訪れると出会えます
ゆかりの地 2か所
吉川広家を訪ねる
2 ヶ所
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生涯
吉川元春の三男。天正15年(1587年)に吉川家当主となり、出雲・伯耆等14万石を領した。天正19年(1591年)、米子の湊山に米子城の築城を開始したが、関ヶ原の戦い(1600年)で毛利輝元が西軍総大将に担がれると、広家は独断で徳川方に内通し、南宮山で毛利本隊を動かさなかった。この行動により毛利家は改易を免れたが大幅減封され、広家自身は周防岩国3万石の領主となった。米子城の完成は見届けられず、慶長13年(1608年)には岩国の横山山頂に岩国城を築いたが、一国一城令によりわずか7年で廃城となった。
人物像
毛利家の存続を第一に考え、独断で徳川方と交渉するという大きなリスクを取った現実主義者。築城にも意欲的で、米子・岩国の2つの城の礎を築いた。
歴史的意義
関ヶ原での内通は毛利家中で長く評価が分かれたが、結果として毛利家を改易から救った。岩国領主として岩国の礎を築き、その子孫は明治まで岩国領を治めた。
─ 完 ─
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