北畠顕信
北畠顕信
陸奥鎮守府将軍・南朝方奥州司令官
生没年不詳(14世紀) · 享年 60歳
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生涯
南朝の重臣・北畠親房の子で、若くして奥州で戦死した兄・顕家の後を継ぎ、南朝方の陸奥経営を担った。興国元年(1340年)、鎮守府将軍として吉野から奥州へ迎え入れられ、田村庄の宇津峰に国府・鎮守府を置いた。暦応4年/興国2年(1341年)には南進拠点として津久毛橋城を築くなど、各地に城を構えて北朝方に対抗した。正平6年(1351年)冬、観応の擾乱の混乱に乗じて一時多賀国府を奪還したが、翌正平7年(1352年)初めに北朝方に再占領され、後醍醐天皇の孫・守永親王(宇津峰宮)を奉じて再び宇津峰城に籠城。正平8年(1353年)5月、吉良貞家率いる北朝軍の総攻撃により宇津峰城は落城し、顕信・守永親王は出羽方面へ逃れた。14年にわたり奥州で南朝方の抵抗を指導し続けた。
人物像
兄・顕家の戦死という悲劇を背負いながら、14年にわたり劣勢の南朝方を率いて奥州で戦い続けた不屈の武将。
歴史的意義
宇津峰城・津久毛橋城など奥州各地に築いた拠点は、南朝方の奥州経営の軌跡を今に伝える史跡として国の史跡等に指定されている。奥州における南北朝内乱の長期化を象徴する人物。
さらに深く
家系図
1293-1354
北畠親房
『神皇正統記』の著者。南朝の理論的支柱。
本人
北畠顕信
生没年不詳(14世紀)
兄弟
1318-1338
北畠顕家
若き天才武将。21歳で戦死。
─ 完 ─
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