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PERSON
北原白秋
北原白秋
童謡と詩の巨人
1885-1942 · 享年 57歳
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生涯
1885年、福岡県山門郡沖端村(現・福岡県柳川市)に酒造業を営む豪商・北原長太郎の長男として生まれた。本名・北原隆吉。柳川は町中に水路が巡る「水郷」として知られ、白秋の詩歌の原風景となった。県立伝習館中学校時代に文学に熱中し、1904年早稲田大学英文科予科入学のため上京。1906年与謝野鉄幹の新詩社に参加し、雑誌『明星』に詩を発表。1908年、木下杢太郎・吉井勇・石井柏亭らと「パンの会」を結成し新ロマン主義文学運動を展開、1909年処女詩集『邪宗門』、1911年第二詩集『思ひ出』を刊行し詩壇に確固たる地位を築いた。1912年、人妻松下俊子との不倫が発覚して姦通罪で告訴され入獄(後に和解で釈放)、1913年俊子と結婚するも1914年離婚。1916年小笠原諸島・三浦三崎・小田原と転居しながら創作に専念。1918年、鈴木三重吉主宰の児童文芸誌『赤い鳥』に詩を寄せ、童謡作家としての道を歩み始める。「からたちの花」「この道」「待ちぼうけ」「ペチカ」「あめふり」「砂山」「揺籃のうた」など、山田耕筰・成田為三・中山晋平らの作曲で歌い継がれる傑作童謡を多数生み出した。短歌においても1913年『桐の花』、1942年『黒檜』など独自の歌境を切り開いた。1937年に糖尿病による腎臓障害から眼疾を発症、1939年ほぼ失明。1942年11月2日、東京阿佐ヶ谷の自宅で57歳で没。
人物像
感性が豊かで色彩感覚に優れ、視覚・触覚・嗅覚など五感を総動員する繊細な詩心の持ち主。一方、姦通事件・三度の結婚など波瀾万丈の私生活、創作のために環境を変え続ける流浪癖など、波瀾に富んだ人生を送った。童謡・民謡・短歌・詩・象徴詩・自由詩と多ジャンルを自在に往き来した稀有なマルチ詩人。
歴史的意義
日本近代詩・童謡の最大の作家。「からたちの花」「この道」「ペチカ」「あめふり」など彼の童謡は今も学校教育で歌い継がれ、世代を超えて愛唱されている。短歌においても『桐の花』『雀の卵』など独自の歌風を確立し、近代短歌に新しい風を吹き込んだ。福岡県柳川市の北原白秋生家・記念館、神奈川県小田原市の白秋童謡館(旧自宅)、長野県軽井沢の白秋詩碑など各地に縁の地が残る。三木露風と並び「白露時代」と称される近代詩の黄金時代を作った。
逸話・エピソード
柳川——白秋の原風景
福岡県柳川市は町中に縦横に水路が走る「水郷」として知られ、白秋はここで18歳までの少年時代を過ごした。「我が生ひたる九州柳河は水郷である。さながら水に浮いた灰色の柩である」と『おもひで』の序文に書いた柳川の風景は、生涯にわたる詩想の源泉となった。代表詩「思ひ出」「水郷柳河」など多くの作品で柳川を歌い、現在の柳川観光(川下り・うなぎのせいろ蒸し)の文化的礎を築いた。柳川市の北原白秋生家・記念館は、白秋が幼少期を過ごした邸宅を公開、自筆原稿・遺品を展示している。
童謡「からたちの花」——苦学時代の思い出
1924年(大正13年)に発表された童謡「からたちの花」は、白秋が小学校時代に通学路で目にしたからたちの生け垣を思い出して作詞した。山田耕筰の哀切な旋律と相まって「からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」の歌い出しは多くの日本人の心に深く刻まれた。山田耕筰は「白秋の詩は曲をつけやすい。リズムが既に音楽である」と評し、二人のコンビで「この道」「ペチカ」「待ちぼうけ」など50曲以上の名曲が生まれ、日本の童謡黄金時代を築いた。
─ 完 ─
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