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PERSON
北里柴三郎
北里柴三郎
近代日本医学の父
1853-1931 · 享年 78歳
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生涯
肥後国(熊本県)阿蘇郡小国町出身。熊本医学校・東京医学校を経てドイツに留学し、ロベルト・コッホの下で細菌学を学んだ。1889年に破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、翌年にはエミール・フォン・ベーリングとともに血清療法を確立した。この業績は免疫学の礎となり、ベーリングは第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞したが、北里は受賞を逃した。帰国後、芝公園内に伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)を設立した。1894年には香港でペスト菌を発見した(フランスのイェルサンと同時期)。伝研の東大移管に抗議して辞職し、私財を投じて北里研究所を設立した。慶應義塾大学医学部の創設にも尽力し、野口英世を含む多くの優秀な弟子を育てた。「細菌学の父」と称され、近代日本の感染症研究の礎を築いた偉大な師であった。2024年発行の新千円札の肖像に採用された。その功績を称えて設立された北里大学は、今日も感染症医学の最前線で世界に貢献し続けている。
人物像
信念を貫く頑固さと研究への情熱を持つ。伝研の東大移管に抗議して辞職し、私財を投じて北里研究所を設立するなど、権力に屈しない気骨の人。弟子の育成にも熱心だった。
歴史的意義
新千円札(2024年~)の肖像に採用。血清療法の確立は免疫学の基礎を築いた。北里大学・北里研究所は現在も感染症研究の拠点として機能している。
逸話・エピソード
破傷風血清療法の確立
1889年、コッホ研究所で破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功した北里は、翌年ベーリングとともに血清療法を確立した。ジフテリア・破傷風の血清療法は当時致死率の高かった感染症から無数の命を救った。ベーリングは1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞したが、北里は受賞を逃した。この不公平な扱いは国際的に議論を呼んだ。
伝研問題と北里研究所設立
北里が育てた伝染病研究所が東京大学に移管されることになると、北里は激しく抗議し所長を辞職した。その後、福沢諭吉らの支援を受けて北里研究所を設立した。「学閥や権力に屈しない」という信念を貫いた北里の姿勢は、多くの弟子たちに受け継がれた。
─ 完 ─
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