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PERSON
加藤清正
加藤清正
虎退治の猛将・肥後の国主
1562-1611 · 享年 49歳
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生涯
尾張国愛知郡中村(現名古屋市中村区)に生まれ、豊臣秀吉と同郷の縁から幼少より小姓として仕えた。賤ヶ岳の戦い(1583年)では七本槍のひとりとして活躍し武名を上げた。1588年に肥後国南半国19万石(後に肥後一国)の大名に取り立てられ、熊本城を新たに築城した。文禄・慶長の役(1592・1597年)では二度にわたって朝鮮半島に出陣し、北部の諸城を攻略した。清正の虎退治の伝説はこの朝鮮出兵中に北方(満州国境付近)でトラを仕留めたとする逸話に基づく。関ヶ原の戦い(1600年)では東軍(徳川方)に付いて九州の西軍諸将を圧迫し、戦後に肥後一国52万石の大大名となった。徳川幕府との関係を保ちながら豊臣秀頼を支援するという難しい立場に置かれ、1611年には家康と秀頼の二条城会見の仲介を行ったが、その直後に発病し同年6月に50歳で没した。毒殺説も伝わるが真相は不明。熊本城の堅固な築城技術は後に西南戦争にて実証された。
人物像
豪快な武人気質でありながら、領国経営には心血を注いだ実務家の顔も持つ。熊本城の堅牢な築城、治水・農業開発への注力は優れた為政者の資質を示している。加藤神道(日蓮宗への篤い信仰)を持ち、朝鮮出兵中も宗教的規律を守ったとされる。
歴史的意義
熊本城はその「武者返し」と呼ばれる特徴的な石垣とともに日本三名城のひとつに数えられ、現在も熊本の象徴として親しまれている。2016年の熊本地震で大きな被害を受けたが復旧工事が進んでいる。加藤清正は「清正公(せいしょこ)さん」として熊本市民に神様のように敬われ、各地に清正を祀る神社が残っている。
逸話・エピソード
朝鮮出兵と加藤清正——虎退治の猛将と熊本城築城
加藤清正は文禄・慶長の役(1592〜1598年)で朝鮮半島を北上して明・朝鮮軍と激戦を繰り広げ、虎を狩ったとも伝わる猛将として知られる。帰国後は熊本城を築城し、その完璧な縄張りと石垣は日本の城郭建築の傑作とされる。「清正公(せいしょこ)さん」として熊本で愛され、1877年の西南戦争でも熊本城が薩摩軍の猛攻に耐えたことがその名声を高めた。
─ 完 ─
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