薩摩藩の外交責任者——小松帯刀が実現した薩長同盟の舞台裏
小松帯刀(清廉)は島津斉彬・久光に重用され、薩摩藩の家老として幕末の薩摩藩外交の実質的な責任者を務めた。薩長同盟(1866年)では坂本龍馬・中岡慎太郎の仲介を受け入れ、長州藩の木戸孝允と小松の屋敷で会談を実現させた。小松の屋敷(小松の宿)での会談がなければ薩長同盟はなく、明治維新の形も変わっていたと言われる。1870年に35歳の若さで病没した。その早世を多くの人が惜しみ、「もし生きていれば明治政府の基礎をもっと安定させた」と語られる幕末の「影の立役者」である。