1555年頃、堺の大富豪・薬種商の小西隆佐の子として生まれた。商人の子弟でありながら武芸を磨き、秀吉の馬廻衆として仕えて頭角を現した。秀吉の九州征伐(1587年)に功績を挙げ、肥後国南半24万石を与えられ一躍大名に取り立てられた。フランシスコ・ザビエルの後継者たちに感化されてキリスト教に入信し、洗礼名をアウグスティノとした。文禄の役(1592年)では日本軍先鋒の主将として朝鮮に渡海し、わずか20日足らずで漢城(ソウル)を陥落させる快挙を成した。慶長の役(1597年)でも活躍するとともに、和平交渉の使者としても奔走したが、武断派の加藤清正との対立が深刻化した。関ヶ原の戦い(1600年)では石田三成と並ぶ西軍の中核として奮戦したが敗北。逃亡中に捕縛され、キリスト教の信仰に基づき切腹を拒否した。同年10月、石田三成・小早川秀秋らとともに京都六条河原で斬首された。享年45歳。