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PERSON
小西行長
小西行長
キリシタン大名
1555-1600 · 享年 45歳
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生涯
1555年頃、堺の大富豪・薬種商の小西隆佐の子として生まれた。商人の子弟でありながら武芸を磨き、秀吉の馬廻衆として仕えて頭角を現した。秀吉の九州征伐(1587年)に功績を挙げ、肥後国南半24万石を与えられ一躍大名に取り立てられた。フランシスコ・ザビエルの後継者たちに感化されてキリスト教に入信し、洗礼名をアウグスティノとした。文禄の役(1592年)では日本軍先鋒の主将として朝鮮に渡海し、わずか20日足らずで漢城(ソウル)を陥落させる快挙を成した。慶長の役(1597年)でも活躍するとともに、和平交渉の使者としても奔走したが、武断派の加藤清正との対立が深刻化した。関ヶ原の戦い(1600年)では石田三成と並ぶ西軍の中核として奮戦したが敗北。逃亡中に捕縛され、キリスト教の信仰に基づき切腹を拒否した。同年10月、石田三成・小早川秀秋らとともに京都六条河原で斬首された。享年45歳。
人物像
商人出身ゆえに外交や交渉に長け、武勇と知略を兼ね備えた。キリシタンとしての信仰を死の直前まで貫いた信念の人。清正との確執は武断派と文治派の対立の縮図。
歴史的意義
信仰を貫き切腹を拒んだ最期は、キリシタン武将の象徴として語られる。文禄・慶長の役における朝鮮との外交交渉は、近世日朝関係史の重要な一幕。
逸話・エピソード
キリシタン大名・小西行長——朝鮮出兵の先鋒と関ヶ原での最期
小西行長は豊臣秀吉の信頼を得てキリシタン大名となり、文禄の役(1592年)では加藤清正とともに朝鮮侵攻の先鋒として漢城(ソウル)まで北上した。加藤清正とは朝鮮での行動をめぐって対立した。関ヶ原では石田三成率いる西軍に属して戦ったが、敗走後に捕縛され、キリシタンとして自刃を拒否したため斬首された。
─ 完 ─
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